2019年9月20日(金)〜11月2日(土)、ラグビーワールドカップが日本で開催され、決勝戦は横浜で行われます。

7月初旬、まだ梅雨が明ける前の青空が広がった爽やかな1日、横浜港大さん橋国際客船ターミナルで、ジョージア共和国(グルジア共和国から平成27年4月22日以降、国名呼称を変更)ご出身のダヴィド・ゴギナシュヴィリさんとお会いしました。

ダヴィドさんは現在、慶應義塾大学SFC研究所の上席所員 博士として国際政治学を勉強し、国際協力、国際援助、国際開発など日本のODAを中心に研究する傍ら、ジョージアラグビー協会日本事務局代表としてジョージアと日本のラグビーを結ぶ活動をしています。

楽しそうに語るダヴィドさん

初めての日本

ダヴィドさんは2005年に、日本国際交流基金による世界中の学生が参加する訪日プログラムに選抜されて初めて日本を訪れたといいます。その時は82ヶ国87人の大人数で、大阪をベースに、奈良、京都、横浜、東京、日光などを2週間ほどかけて巡ったのだそうです。人生で最高に楽しい2週間で、この時にいつか日本に長期留学すると決めたのだそうです。横浜はツアーコースには入っていなかったのですが、フリータイムで数人の仲間と訪れたそうです。ジョージアでも、日本は長い間鎖国をしていた国で、海外との交流がなかった、日本人は外国人に慣れていないというイメージがとても強い。けれど例外があり、横浜と神戸は最初に海外に門戸を開いたところとして興味があったそうです。

初めて日本に来た時に関西国際空港からタクシーに乗った際、ドアが自動で開いたのにはとても驚かされました(笑)・・・奈良、京都の思い出、日光ではジョージアでも有名な3猿を見て感動したと素敵な笑顔で語ってくれました。横浜は、これも同じ日本なの?という印象。ヨーロッパ的な建物が多く19世紀のヨーロッパのような雰囲気に今でもリフレッシュするのだそうです。

山下公園の様子も印象的に覚えていて、子供達(小学生)がみんな芝生で一人で弁当を食べていて、親が一緒にいなくて迷わないのか?ジョージアでは考えられないなどと驚いたそうです。

日本はとても住みやすい。治安もいいし、インフラがちゃんとしていて、交通機関は時間通り正確に来るし何でもある・・・・・と感じているそうです。人が少ないジョージアは、国の人口が400万人以下なので、日本に来てしばらくは渋谷のスクランブル交差点のように人が沢山いるところがエキゾチックで、面白かったし好きだった。10年したら慣れてしまい今は人が多いところは少し避けている・・・と(笑)。

2008年4月から日本に住み始めてちょうど10年目に入りました。

ジョージアのラグビー

ジョージアは人口が少なく、世界で何かで優れる、プライドになる誇れることが欲しくて、柔道、レスリング、相撲、リフティングや腕相撲などの力系スポーツでは世界のトップランクに入るほど上手だけれど、チームプレイは上手くないそうです。唯一つ、チームスポーツではグビーだけが強い。ジョージアにはプルタオバというラグビーにそっくりなスポーツが昔からあります。今では復活祭の時に行われるだけになりましたが、15~16キロもの重さの土を詰めたボールを使う。村vs村で戦い、亡くなる人が出るほどの競技だそうです。スポーツとしてラグビーが入ってきてから、今では祭りとしてしか残っていない。教会から始めるもので、司教がボールを持ってきて祈りを言ってからボールを投げて競技が始まるのだそうで、ブルタオバのおかげでラグビーは強いのだそうです。

ラグビーの国際ランキング(2017年6月)で、ジョージアは12位、日本は11位と実力が伯仲しています。ラグビーはもともとイギリスが帝国だった時のエリートのスポーツ。ジョージアも日本も頑張っているけれど、エリートになかなか入れてもらえない。このエリート群に認めてもらえるようジョージア、日本は壁を打破するために協力してラグビーに取り組んでいきたいですね、とダヴィドさん。そのために私のような存在の必要性が出てきた・・・・・と。

ラグビーとワイン??

ジョージアのラグビー選手のチームユニフォームには、背中にぶどうの枝の刺繍が入っているそうです。ジョージアがぶどうとワイン発祥の地ということもありますが、周りのイスラム教の国々との戦いの歴史の中で、戦士が胸や背中にブドウの枝を抱いて戦場に赴いたことからきているそうです。万が一戦場で命を失っても、その戦士が倒れ土になれば、その場所からブドウの木が芽吹いて育ち、それが自分たちの土地を守り、やがてワインが生まれる・・・と。“ブドウの枝=ワイン”はジョージアの男たちのアイデンティティの一部なのですね。ブドウが生えてワインを作っている土地はジョージアの土地だと。死んでもブドウが生えればその土地は失わないという気持ちが強かった。ジョージアは歴史的に戦争が多く、オスマン、アラブ帝国などの支配から宗教を押し付けられても決してキリスト教を変えなかった。イスラム教になったらワインが飲めなくなる? それだけは許せない。ワインがジョージア人をイスラム化から守ったと言ってもいいようです。

 

ジョージアのワインの歴史

ジョージアのワインの歴史は世界で最も古く、8,000年前からと言われています。脈々と守られ続けたその製法は2013年、「和食」と同年に世界遺産に認定されました。古くから守られ続けた ジョージアのワインの製法は、土中に埋められたクヴェヴリという甕(ワインのラベルにもデザインされています)にブドウを絞り込んで、甕の中で醸造されます。非常に難しい。何かの菌が入ったらワインがダメになってしまうので、大きい甕だと1週間もの時間をかけて内側を丁寧に洗ったのちに、絞ったブドウを皮や種と一緒に入れます。ブドウの皮や種は1週間ほどで一旦上に浮かび上がってきますが、1ヶ月くらい経つとその後自然のフィルターの役割をしながら再び甕の下層に沈むのだそうです。こうしてポリフェノールたっぷりの美味しいワインが生まれます。完璧な形のクヴェヴリであれば途中で何もする必要がない。ジョージアには、ワインを作るのに欠かせないこの12世紀の甕作りを学ぶ専門学校まであるそうです。甕の形状や、どういう粘土で作るのかなどを学ぶ。ジョージアのワインは、長いあいだ皮や種と一緒に熟成させるのでポリフェノールもたっぷり。子供の頃から薬代わりにスプーンで飲む習慣もあるそうです。ダヴィドさんは、歴史的にも積極的に海外からの異文化を取り入れて来た横浜から、ジョージアのワインを日本の皆さんにも楽しんで頂きたいと言います。 横浜のレストランではダンゼロやサブゼロにも置いてあったし、横浜の和食のお店でも歴史と伝統のあるジョージアのワインに親しんでいただきたいと。

甕(クヴェヴリ)がデザインされたワインラベル

2019年に向けて

これから日本とジョージアのラグビーの試合を定期的に行っていきたいと考えています。日本人の子供達(19歳未満)にジョージアに1ヶ月くらい滞在してもらい合宿をする。日本国内ではワールドカップに向けて練習する施設や協力していただける地域探し、などに取り組んでいます。

ジョージアには昔から貿易のルートが通っていました。アジアとヨーロッパを結ぶ文明の十字路としての役割があった。ならばスポーツでも同じ役割を果たそう、スポーツの十字路となる大会を作ろう、とジョージアラグビー協会が取り組みを始めているそうです。

いろんな国が賛同していて、日本にも参加希望があり、間に合えば、そして頑張れば2019年と言わず来年からでもできるのではないでしょうか?

ダヴィドさんは力強く語ってくれました。