昭和25年9月生まれの高橋一成さん。関東学院六浦高校、明治薬科大学を卒業後、神奈川県薬剤師会公害衛生試験所(現在はなくなってしまった組織ですが)に就職し、水質汚濁や空気汚染、土壌汚染などの分析技師に従事。そこから紆余曲折、厚生省管轄のお仕事なども経験されて、現在は地域の薬局である株式会社コージーファーマシーの代表取締役社長でいらっしゃいます。

横浜で3店舗の「コージーファーマシー」や「やすらぎ保育園」の経営をされる一方、2017年6月には横浜橋通商店街共同組合の理事長に就任、またYS350の実行委員会委員長を務められるなど、横浜の地域活性化に幅広く取り組んでいらっしゃいます。

 

◆2017年6月 横浜橋通商店街協同組合理事長に就任

横浜橋通商店街は、昭和3年から90年近くの歴史があります。360メートルの直線アーケードに生鮮、惣菜、リサイクルショップなど130店舗が連なる商店街です。商店街の約3分の1が生鮮、約半分が総菜店で、横浜下町の庶民の台所として賑わっています。

商店街にほど近い南吉田小学校の54%の子どもたちは14カ国からの外国人です。そのうち3分の2が中国、その他韓国、フィリピン、タイ、ロシアなど。子どもさんがいらっしゃらない家庭もあるので、このエリアは相当数の外国の方が住んでいらっしゃる、たいへん国際色豊かな地区なのです。

◆高橋さんが理事長に就任されて最初の取組み

商店街への集客を増やす目的で立ち飲みのビアガーデンを始めました。商店街のアーケードの数カ所にテーブルを用意して生ビールだけを販売。つまみは商店街のそれぞれのお店の惣菜を買い求めていただくという、横浜橋通商店街ならではの強みを生かしたスタイルです。お客様、店舗共に好評で、2回目はもっとつまみ惣菜を準備したいという店が何軒も出てきました。

◆商店街活性の今後のビジョン

国際化を利用しない手はない。将来的にもっと多国籍の商店を入れることで、スーパーとは一味違う、商品を外国人にお持ち帰りいただけるような商店街にしたい。スーパーには特化した商品しかないけれど、ここには多国籍のものがいつでも揃っている、そんなコンセプトをメインにやりたいですね。

また、すぐ近くに桂歌丸師匠もお住まいで、笑いの文化を残していきたいというのもあります。それをいろいろなイベントにもつなげていきたい。

大通り公園で想定しているイベントも、この辺り出身のタレントさんや経済人にご協力いただきながら大いに盛り上げていきたいと考えています。

今後、商店街としては通訳も必要になってくると思います。今は外国人の子どもさんが親御さんの通訳をしているようなところがある。来年の2月には、台湾からインターンシップで留学生40人を3週間ほど迎え入れます。そのうちの1〜2名をコージーファーマシーで受け入れる予定です。台湾の学生は優秀で、英語、北京語、台湾語、日本語が話せて書ける。これだけ外国人が増えてくるとこういう人材が必要になってきます。中国語が喋れないと、親御さんが病気で医者にかかって薬を飲んでもらう時にも、なんだかよくわからない、なんて事になってしまう。そうなっては困るので、中国語、台湾語などに対応できるようにしていきたい。

また彼らのツイッター力のすごさには驚かされます。中国人は福建省の人が圧倒的に多いのですが、皆ツイッターのコミュニケーションで集まってきています。仲間が住んでいて土地が平地、物価が安く住まいも安いという情報をツイッターで共有して仲間がどんどん集まってくる状況ですね。

横浜観光コンベンションビューローとタイアップして、日本の修学旅行生を受け入れ、空き店舗を利用して地方産品を販売する活動も好評です。百貨店に出られない名店を商店街に出店する企画もあり、大手旅行会社から社会人研修として参加したいと打診を受けています。商店街が有名になるのならウェルカムで、ここのところいろいろな取材も増えてきています。

 

◆横浜を訪れる外国人を全て受け入れる!

横浜橋までは横浜港大さん橋からまっすぐ一本、歩いても来られる距離です。外国客船が入港した時は、訪日外国人を全部受け入れますよ・・・くらいの気持ちであらゆることに取組んでいきたいですね!

◆YS350実行委員会委員長

・2017年は横浜の礎、吉田新田開発から350年。6年後の日枝神社創建350年に向けてさまざまな取組みについてディスカッションしていきたい。祭りに関わる人たちを集めてきちんとした議論を進め、350年を契機に神輿パレードを大きくしていきたい、と考えています。

 

◆株式会社コージーファーマシー代表取締役社長として

コージーファマシーは現在横浜市内で3店舗を展開しています。

コージーファーマシーの代表になってから、アメリカへ終末期の施設を見に行く機会がありました。終末期の施設というのは、こちらでいう緩和ケアとかそういうものとは違って、人生の最後にお年寄りが1ヶ月間ほどそこで安住に生活して亡くなっていく、そういう施設です。これは日本にはまだない。このエリアにはお年を召した方も多く、服薬指導などをしていると、今後ますます増えていくであろう独居老人の問題などを考えます。ただでさえ日本は家が狭く、家族が面倒をみる時間も限られている。こういう施設が日本にも必要だと考えるようになりました。

これからの事業として、私の人生のエンディングテーマだと思っています。