当時まだ馴染みがなかったフランスパンを日本に持ち込むにあたり、フランスの食文化にゆかりのある話題として創業者が仕入れてきた話から、ポンパドウルという店名が生まれました。ジャンヌ=アントワネット・ポワソン、別名ポンパドウル夫人。ルイ15世のフランス宮廷から始まったロココ時代の文化や芸術を熱心に後援し、当時の美術品や工芸品が「ア・ラ・ポンパドウル(ポンパドウル風)」と呼ばれたほどでした。ポンパドウル夫人は美食家としても名を馳せ、フランスで初めてバゲット型のパンを作らせた、という説もあるようです。

創業者の「ポンパドウル構想」には、パン屋とは思えない贅沢な店舗づくり、という方針がありました。出店する場所も「おしゃれなイメージの街」、かつ「買い物客が集まる商店街」から選定した結果、横浜元町に決まったのです。元町に進出した贅沢な店舗の象徴としてポンパドウルには、「純金製の蛇口」のエピソードが残っています。その頃、元町商店街には、お客様が自由に使えるトイレが整備されておらず、創業者はポンパドウルの店舗の螺旋階段の下を利用してトイレを作りました。贅沢な店づくりを徹底した結果、便器もフランスから極上の便器を輸入し、さらに当時のお金で50万円程度をかけて手洗いの水道の蛇口を純金で作りました。ところが「ポンパドウルのトイレの水道に金の蛇口が付けられている」と、元町商店街でかなり有名になっていたようで、ある日、誰かに持ち去られてしまったという逸話が残っています。

またパッケージにもこだわりました。銀座や六本木の高級ブティックの袋を研究し、パッケージの色には特にこだわりました。昔のパン焼き窯のレンガの色、パンを焼く時の炎の色からイメージされる赤。当時は清潔感を重視する食品関係の店にとって赤いパッケージはタブーとされていたようですが、試作した赤い袋をターゲットの若い女性に見ていただいたところとても好評でした。手提げ袋は赤とし、念のため直接パンに触れる内袋は赤と茶色を用意しましたが、ほとんどのお客様が赤い袋を希望されたそうです。今でも元町で赤い袋にポンパドウルの黒い文字のおしゃれなコントラストは目を引きますよね。

売場に併設されたパン工房、厳選した小麦粉を用いて粉から仕込む本格的な製法、 本場ヨーロッパの職人から受け継いだフランスパンとデニッシュの技術――そのひとつひとつに込められた“上質へのこだわり”を表現したのが、「ポンパドウル・レッド」のパッケージなのですね。