ポンパドウルは1968年(昭和43年)に横浜元町で創業しました。創業者の三藤喜一は、お客様に焼きたての美味しいパンを提供したいという強い思いを持っていました。

ポンパドウル創業物語① ポンパドウル誕生前夜

 

ポンパドウルの創業者三藤喜一は、父が事業を営んでいた日本統治時代の台湾で生まれました。のちの敗戦とともに三藤家は台湾を引き上げ1946年の6月に帰国、広島県の三藤家の郷里に身を寄せましたが、三藤喜一は神奈川県の川崎市で親戚が経営していた「あさひ屋肉店」に住み込んで商売の勉強に明け暮れました。この商売の修行の時期に、座間市の米軍キャンプに(残飯を仕入れるために)連日通って米軍との強いコネクションを構築し、当時入手困難だった外国産たばこ(洋モク)を仕入れて安定的な利益を稼ぎました。

1947年には、おもちゃ屋とたばこ屋を兼業する店を、川崎大師に隣接する「昭和マーケット」の近くに開業。三藤喜一はこのとき弱冠25歳でした。

こうして貯めた現金を元手に三藤は次なる事業として「蒟蒻屋」を立ち上げる準備を始めました。当時三藤家が身を寄せていた郷里の広島では蒟蒻芋の栽培を手がけており、これを自分の商売に役立てたいと考えていたようです。蒟蒻を製造するのに必要なミキサーなどの機械を買い揃え、新しい店舗も確保して製造を開始するばかりの状態までこぎつけたのですが、当時まだ統制品だった蒟蒻芋を故郷広島から直接仕入れることができず、新しい事業は暗礁に乗り上げました。しかし、ここで三藤喜一は蒟蒻製造機械をパンの材料を練ることに生かし、パン焼き窯があればパンが製造できると思い至り、1948年6月にパンの製造販売会社を起業、昭和町に店舗を構えたことから会社名を「昭和堂のパン」としました。

当時はお客様から持ち込まれた小麦粉を原料にパンを作り、お客様から手間賃をいただくのが一般的でした。しかしその手間賃だけでは郷里の親兄弟を養っていくのに十分な利益を得ることはできなかったようです。そこで創業者三藤喜一は、小麦粉に砂糖を練りこんで焼き上げる(甘くておいしいパン)を考案したところ,あっという間に評判となって昭和堂のパンにはお客様が殺到しました。現在では当たり前のようにいわれる「差別化」されたおいしいパンを提供することで、通常のパンより高額な手間賃をいただくことができたのです。